スミルナ――『没薬』より:『埋葬のための油注ぎ』――第 2・3 世紀

 スミルナの都市

スミルナ(現代のイズミル)は「ト・アガルマ・テス・アシアス――アジアの喜び」とし て知られていた宝石のように美しい場所でした。スミルナは当時も今も深い海に接する港 街であり、35 マイル(約 5.6 キロメートル)南にあるエペソとは激しいライバル関係にあ りました。紀元前 600 年頃にその町は地震によって破壊され、紀元前 4 世紀まで再建され る事はありませんでした。10 万人の人口を抱え、海の傍にはキュベレーの神殿を持ち、さ らにはアポロや、アスクレーピオス、アフロディーテー、またゼウスに捧げられた目を見 張るような神殿がありました。この都市は、発展した科学とぶどう酒の貿易で繁栄し、ラ オデキヤのように薬でも有名でした。

『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。 初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は 富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタ ンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。あなたが受けよ うとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために

、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十

日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあ

なたにいのちの冠を与えよう。

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して 第二の死によってそこなわれることはない。」』』(黙示録 2 章 8 節-11 節)

注目すべき事柄は、スミルナという名前がギリシア語の『没薬』を意味する言葉から取 られたことです。没薬は基本的に埋葬の時、死者の体に塗るために使われていました。ヨ ハネ 19 章 39 節では、ニコデモがイエスの体に塗るための没薬を持ってきたとあります。 雅歌の中で没薬は、花婿が没薬の山に上ると描かれている箇所でそれとなく触れられてい ます。

『そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、 私は没薬の山、乳香の丘に行こう。』(雅歌 4 章 6 節)

乳香とはいけにえをささげる時に焚かれたもので、その山は当然のことながら、イエス が処刑されたカルバリの山を指し示しています。

スミルナは、おおよそ使徒の活躍した後の 2・3 世紀、つまりニケア公会議以前の時代か ら、コンスタンティヌス帝(紀元 321 年)やニケア公会議(紀元 325 年)までの時代と関 連しています。

イエスは黙示録 1 章のご自身の描写の中から、それぞれの教会が思い出すべきひとつの 側面を教会に念押ししました。スミルナはイエスが死に、そしてその死からよみがえった ことを思い起こす必要がありました。迫害は終わりではありません。その後に永遠のいの ちがあるのです。

「わたしは、あなたの苦しみを知っている」すべての教会と同じように、イエスは悪い ことを扱う前にまず何が正しいかを示します。スミルナは(フィラデルフィアと同じよう に)イエスが何の悪い点も見出さなかった教会です。その理由は、その教会が迫害を受け ていたからでした。文字通りにひどく迫害されながらも、信仰を保っている教会を批判す るのは非常に難しいことです。

ロンドンのソーホー(Soho)という町はフランスから来たユグノーと呼ばれる人たちが定 住した町です。ユグノーとは聖書を信じるクリスチャンで、ローマ・カトリック教会の手 によって激しく迫害された人たちです。「聖バーソロミューの日(8 月 24 日)」に人々は聖

バーソロミューの虐殺を思い起こします。当時のローマの権威者たちは、彼ら(ユグノー

達)に平和と安全とを約束し、公の会合を開くために招きました。しかしユグノー達が現 れた時、ローマの聖職者たちは彼らを処刑したのです。それは虐殺でした。このような迫 害のためにユグノーの生存者たちはイギリスへ移り住みました。ある者は北アイルランド に行き、帽子や織物、レースなどの貿易を始めました。他の者たちはホワイトチャペル周 辺のロンドンの東の端に定住しました。

結果としてソーホーは言うならばイギリスの「バイブル・ベルト(聖書の影響が強い地 域)」となりました。そこには当時おそらく世界のどこよりも多くのクリスチャンが密集し ていたでしょう。彼らは毎日祈祷会を開き、聖書研究を行っていました。そしてユグノー たちは家から家へと回っていました。しかし今日ソーホーはロンドンの売春街となってい ます。かつては主が崇められ、みことばが学ばれ、福音が宣べ伝えられ、クリスチャンた ちが日ごとに祈りや礼拝のために集まっていた場所が、ポルノと売春の巣窟となったので す。物事が逸れていくのに長い時間はかかりませんでした。そしてこのようなことこそが 今日の西洋世界で私たちが目にしていることなのです。

 未来の歴史的・預言的な対型

サタンがスミルナの教会を地域的な迫害によって『十日の間』苦しめたことは、一般的 にキリスト教に敵対的だった一連の皇帝たちによる大きな迫害の 10 の期間を指すと言われ ています。皇帝たちはしばしばユダヤ人に対して反ユダヤ主義的な傾向を持っていました

。これは蛇と女の間に敵意を置くと書かれている創世記 3 章 15 節の預言と関連しています

。帝政ローマから教皇制によるローマ、また異端審問、鉄のカーテンの時代のソビエト主 義、また現代の原理主義イスラムに至るまで、アブラハム、イサク、ヤコブの神学的子孫 に敵対する者は、ヘブル人族長たちの人類学的子孫にも敵対します。真実の教会と、イス ラエルの両方が神の契約の民であり、預言的な神の救いの計画がその民にかかっています

。それゆえ、真実の教会とユダヤ人はこれまで、繰り返し同じ迫害者の標的となってきた のです。

ユダヤ人の絶滅にやっきになっているサタンの霊は、真実の教会をも絶滅しようと精を 出しています。ローマから始まり、教会に敵対した国々の大部分がどれもユダヤ人に対し ても敵対しました。ティトスが行った紀元 70 年のユダヤ人に対するエルサレムでの衝撃的 な出来事は、教会を迫害したネロによって受け継がれました。同じような傾向がクラウデ ィオス帝の治世にも顕著でした。二世紀に入ると、使徒の後の教会が始まりました。時を 同じくして、シメオン・バル・コクバに率いられたユダヤ人第二の反乱により、ユダヤ人 はエルサレムから除き去られ、聖書のイスラエルの地からのディアスポラ(離散)へと至

りました。ディアスポラはハドリアヌス帝の治世に勢いを増しました。その事と同時に、

それに続く一連の気の狂ったような皇帝たちによる教会への多くの恐ろしい迫害が起こり ました。その皇帝たちすべてが多神教を信じる異教徒であり、大半の者がバイセクシャル

(両性愛者)でした。

ローマ皇帝たちが自ら招いた道徳的退廃のために、それまでキリスト教徒に突き付けられ た故無き訴えがユダヤ人にも突き付けられ、すべてのことに関して彼らが責められていた ことは驚くべきことです。この種の非難はキリスト教徒の虐殺を正当化するために使われ

、コンスタンティヌス帝がローマ帝国を外見上だけキリスト教化した時に終わりましたが

、ユダヤ人に対しては継続されました。それはただ帝政ローマの権力によって実行されな くなっただけであり、教皇制ローマの教皇権によって継続されました。教皇制ローマの教 皇権は、いわゆる神聖ローマ帝国の下にその放蕩を続けました。この過程はネロとティト スによって初歩的な面を見せていましたが、スミルナの教会の性質をもって表される 2 世

紀から 4 世紀の時代にはっきりとした様相を呈しました。スミルナのクリスチャンが現地 で直面していたものは、2 百年間、ローマ帝国の中にあった教会を襲ったことの前触れで あり、縮図であったのです。

ドミティアヌス、マルクス・アウレリウス、セプティマス・セベリトゥス、カリグラ、 デキウス、ディオクレティアヌスらは、集中して迫害が行われた 10 の主要な期間を指揮し た皇帝たちです。異教ローマのポンティフよりも、教皇制ローマのポンティフ(教皇)た ちの方がより多くのキリスト教徒とユダヤ人を殺すことのできる鋳型を形成しました。実 際、私たちがすでに見てきたように、真実の教会はポンティフのパンテオン(古代ローマ の神殿)の外に置かれるレリギオ・イリシタ(違法な宗教)となりました。再び現代世界 において、私たちは同じことをヨハネ・パウロ 2 世(本名カロル・ボイティワ)とベネデ

ィクト 16 世(本名ジョセフ・ラッツィンガー)の教皇権において目撃しています。どちら

も自分達がいかなる全ての信仰とローマ・カトリック(彼らが主張する使徒ペテロの正当 なるキリスト教)との間の『橋渡し』だと自称しており、新生した、聖書的な福音主義を 非難しています。このような人たちはペテロの後継者ではなく、本来のポンティフの後継 者、帝政ローマの反キリスト的皇帝たちの後継者なのです。

 神に背くことは政治的、道徳的退廃へとつながる

私たちが目にしている西洋民主主義国家での、政治的また経済的、社会的退廃が、西洋 の道徳的、霊的退廃の反映であることは疑う余地がありません。イギリスの国会の外壁に はラテン語で、「パテル・ノステル・クイ・エス・カエリス――天におられる我々の父」と 掲げられています。最近のテレビで発表された統計によると、現代、国会議員の大半が全

く何の宗教も信仰していません。その中で多数派なのが名ばかりの英国国教会員たちです

。その次に来るのが多くの無神論者や不可知論者たちで、次にイスラム教徒、仏教徒、ヒ ンドゥー教徒、ユダヤ教徒(救われていないユダヤ人たち。昔のディズレーリ首相はユダ ヤ人クリスチャンでした)、カトリック教徒などが続きます。これらの人々が、イギリス で実行されていたエラストゥスの教会システムを採用した政府のもとで、投票により司教 たちを任命しています(エラストゥス 1524-1583 ハイデルベルクの医者で、教会の権威 が世俗の政府を従わせるべきだと教えた人物)。このイギリス国会の中で神の存在さえも 信じていない幾人かの者たちが、英国国教会の聖職者を任命しているのです!

 誰にも惑わされないように

エバはイスラエルの象徴、また教会の象徴であり、彼女は蛇によって惑わされました。 聖書中で蛇は欺きを表しており、一方、竜は迫害を表しています。スミルナでは蛇と竜が 同時に教会を攻撃していました。

マタイ 7 章 15 節や使徒 19 章、第二ペテロ 2 章はすべて偽預言者や偽教師について警告 しています。初代教会は外側にいた偽預言者からだけではなく、内側の者からも挑戦を受 けており、そちらのほうがはるかに破壊的でした。初代教会では当時アリウス主義者たち がいました。アリウス主義者とはアリウス(紀元 250-336)から名前を取られた者たちで

、イエスが創造された存在であるとし、イエスの神性を否定しました。今日それはエホバ の証人として再び現れています。「日の下に何も新しいものはない」――逆にその反対の主 義も存在し、『イエスだけ』が神であると信じ、御父をないがしろにする人たちもいます

現在カンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ(Rowan Williams)は、ドルイド教

(ケルト人社会における宗教)の式典に参加することに何の抵抗も感じない人物で、複数 の信仰を受け入れるリベラルです。彼は明らかに同性婚の許可や、同性愛者の任職に精を 出しています。ウィリアムズ大主教は、あのブレア政権(国会の民主主義的権威の多くを ブリュッセルの選挙によらないヨーロッパ政治へと手放した政権)によって任命されまし た。彼らはイギリスの経済的先行きとイギリスポンドを、選挙で選ばれた政府とイギリス 銀行の手から取り上げて、実質的にドイツ連邦銀行の後継である、フランクフルトの欧州 中央銀行の手に置きたがっています(訳注…ユーロ圏に入り通貨を統合し、EU とイギリス 経済を一体化しようとする試み)。イギリス女王は自身の持つ『国王の裁可(国王が持つ 法を発効させる権利)』を一体どのように 1972 年の欧州共同体議員立法(European Communities Act 1972)に与えてしまったでしょうか。女王はその決定によって自身の主 権、すべての統治者が守ると誓うものを明け渡してしまいました。

最近、BBC の国会記者は個人的な意見を表明しました。彼の立場は、国会民主主義制度

がヨーロッパの官僚主義に変換されたことで、ヨーロッパが今まであった民主主義の原則 から実質的に離れたと語っていました。非選出者たちからなる委員会は提案を作り、ただ ヨーロッパの国会へ助言を求めるだけになっています。国会はただの諮問機関(参考意見 を聞くだけの団体)となっているのです。

過ちや、失敗、問題があったとしても、ピューリタンたちが民主主義の伝統を設立する のに大きな役割を果たしたことは忘れてはならないことです。現代まで受け継がれた民主 主義の制度は、宗教的自由や良心の自由、信心の自由、また福音宣教の自由の出現と密接 に関連していました。ピューリタンと彼らの先駆者たちはローマ教会と英国国教会双方の 手によって非常に苦しめられました。彼らは今ある民主主義の伝統を聖書の価値観によっ て設立したのです。聖書的なユダヤ・キリスト教の道徳的原則から逸れてしまうとき、そ れらの原則の上に建てられている制度はひび割れ、それと共に消滅してしまいます。これ が今基本的に起きていることです。物事が良い状態から悪い状態へ、悪い状態から最悪の 状態へ変わるのに大した時間は必要ではありません。

ソビエト連合や、チェコスロバキア、ユーゴスラビアなどの東ヨーロッパの連邦国家は 崩壊し、選挙によらずに選ばれた中央集権的な社会主義エリートによって国々は支配され なくなりました。その一方で、西ヨーロッパは連邦国家に破滅を招いたその中央集権化さ れすぎた体制に傾こうとしています。現在の政府はイギリスをまさにこの方向へと推し進 めようとしているのです。聖書的なキリスト教から離れると、聖書的キリスト教がその形 成に貢献した議会民主主義から離れてしまうのです。

ローワン・ウィリアムズ大主教はドルイド教の祭典に参加し、ウェールズの神話の中で ドラゴンとして表されるケルト人の神の子の名前を儀式的な名前として受け取りました。 今日では黙示録が反キリストを竜と象徴していることは何の興味も引かないようです。そ れゆえ、彼が黙示録を『さまよう文章』と呼んだことが 2002 年 1 月 6 日のデイリーテレグ ラフ紙に引用されたのは何も不思議ではありません

「安っぽい紙に文字がびっしりと書かれ、次から次へと偏執的な妄想と 悪意で満ちている。それは聖職者がよく受け取る悲惨で、精神不安定な 者の手紙のようだ」

カンタベリー大主教にとって、イエスさまによって与えられたヨハネの黙示録は神の聖 なる言葉でもなければ、「偏執的な妄想と悪意で満ちている」ものなのです!

 迫害への備え

イエスはスミルナの教会に、差し迫った迫害について警告されました。

『まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示 さないでは、何事もなさらない。』(アモス 3 章 7 節)

多くの国の歴史を通して、真実に新生したクリスチャンたちは当たり前に享受できるべ きもののために迫害されました。これが東ヨーロッパやローマ・カトリック教国、イスラ ム教国、社会主義国家などでの現実でした。現代、私たちが当たり前に受けている自由が 存在する理由は、16 世紀や 17 世紀の聖書を信じるクリスチャンの血によってそれが勝ち 取られたからです。しかしいったん人が聖書の真実に背を向け、主とその戒めから離れる やいなや個人の自由はそれと共に無くなってしまいます。そしてそのことが今起ころうと しているのです。イエスさまが現代西洋世界の教会に迫害に備えるよう呼びかけているこ とには疑う余地がありません。それはスミルナの教会に警告を与えたことと同じなのです

初代の信者たちの信仰はヘブル人への手紙に見出せます

『…またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されるこ とを願わないで拷問を受けました。』(ヘブル 11 章 35 節)

初代信者たちは、この人生とこの世で繁栄するためにイエスさまが死なれたと考えてい ませんでした。彼らは来るべき御国で自分たちが繁栄するためにイエスさまが死なれたと 考えていたのです。

『また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に 入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切 り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、』(ヘブル 11 章 36 節-37 節)

メルセデス・ベンツやキャデラックに乗って移動したわけではありません

『乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、――この世は彼らにふさわしい所ではあり ませんでした――』(ヘブル 11 章 37 節-38 節)

今日有名で、繁栄した説教者の多くがしているように、五つ星ホテルに泊まるなんてこ

とはありえなかったことでしょう!

『荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。この人々はみな、その信仰によ ってあかしされました…』(ヘブル 11 章 38 節-39 節)

これが初代教会の信仰でした。彼らはイエスがこの世でのリッチな生活を送らせるため に死なれたとは考えませんでした。イエスが死なれたのはもっと良い世界で、遥かに素晴 らしい生活を与えるためなのです。

 『神の国は今』神学

そのような偽りの教理を信じることは「支配主義神学」であり、または「神の国は今」 神学とも呼ばれます。これは現代のカリスマ派やペンテコステ派の大半で非常に多くなっ てきています。基本的にそれはイエスが戻って来る前に教会がイエスのために全世界を征 服し、イエスのために御国を設立するという考えです。教会が今、その神の国だと主張し ます!それはまた「実現された終末論(over-realized eschatology)」とも呼ばれます。こ れは大きなムーブメントで、現代のイギリスやアメリカの多くの主要な福音派指導者によ り暗黙的に承認されています。よくある表現の中では、それは後の雨/神の子らの現れと いう異端的な要素とひとつになっています。それは 1940 年代のペンテコステ主義の主流に よって批判されていたもので、超カルヴァン主義的な再建主義と一緒になっています。そ の超カリスマ派の支持者たちの中にはアメリカ人で反イスラエルの説教者リック・ゴドウ ィン(サンアントニオにあるイーグルズ・ネストチャーチで、あからさまになった金銭ス キャンダルの件で有名)がおり、一方、改革派再建主義者たちはローザス・ラシュドゥー ニー(Rousas J. Rushdoony)やギャリー・ノース(Gary North)、デイビッド・チルトン

(David Chilton)などさまざまな神権主義者たちを引き込んでいます。

この種の非聖書的な教理はとても嘆かわしいもので、全く間違っており、キリストの体 にとって潜在的に非常に危険なものです。そして突き詰めれば聖書的ではなく、ただの希 望的観測です。イエスご自身が次のように明らかにされました

『人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノ アが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだ りしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。

また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり

、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行くと、その

日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。』(ルカ 17 章 26 節-30 節)

 パックス・ロマーナと国際化の中でのスミルナの生活

貧しい国での人々への搾取など植民地主義には否定的な面がありますが、肯定的な面も あります。たとえばより最近の『パックス・ブリタニカ(イギリスによってもたらされた 平和)』ではイギリスははるかに危険な帝国を寄せ付けませんでした。東にはロシア、西に はフランスやスペインなどローマ・カトリック帝国が存在しました。イスラエルではイギ リス政府がバルフォア宣言を破棄し、ユダヤ人を約束された地に帰さず強制収容所で滅ぼ されるままにしたことなど、イギリス政府が行った悪事をみなが知っています。しかし現 代のイスラエルには道路設備、ハイファ港、空港などが存在します。その国の大半の社会 基盤はイギリスによって建設されたものなのです。

世界には人々が植民地主義をただ純粋に求めていた場所があります。ジブラルタルの人 々にスペイン人になるべきだとか、フォークランド諸島の人々にアルゼンチン人になるよ うに、また香港の人々に中国人になるように言ってみたらどうなるでしょう。彼らはむし ろイギリス人になることを望みます。それはコインの裏表です。またアジアやアフリカの 多くの国々でイギリスが去った後に何が起こったかを見てみてください。

これは搾取的な植民地主義や帝国主義を擁護しているのでは決してありません。しかし 言わんとしていることはコインに別の面があるということなのです。パックス・ブリタニ カの下でイギリスは状況が異なっていたなら極度の問題を抱えていたような世界に、相対 的な安定と、相対的な繁栄をもたらしました。イギリスは当時、その社会に存在した聖書 的な影響によって神に祝福されていたと多くの人々が個人的に信じています。イギリスは 200 年間にわたって、どの国よりも多くの宣教師たちを送り出しました。ウィリアム・ケ アリーやハドソン・テイラーなど多くの宣教師たちを思い出してください。今日もオペレ ーション・モビライゼーション(Operation Mobilization)や、ユース・ウィズ・ア・ミッ ション(Youth with a Mission)、クライスト・フォー・ザ・ネイションズ(Christ for the Nations)などの団体がありますが、かつてイギリスから出て活動していた真実で聖書的な 宣教団体と比べると、影もかたちもありません。

第二次世界大戦の後に『パックス・アメリカ』が訪れました。当時ソビエトの脅威があ

りましたが、NATO の下にアメリカはイギリスと手を組み、基本的にヨーロッパに平和を

もたらしました。征服した国々を占領し、搾取することとはかけ離れて、アメリカはドイ ツや日本を自由市場を持つ西洋的民主主義国家に変え、繁栄と豊かさをもたらしました。 これはすべてを肯定しているのではありませんが、イギリスが多くのクリスチャンで溢れ

、多くの宣教師を送り出す国となったとき神がイギリスを祝福されたように、その同じ理 由で神がアメリカを祝福されていたのです。第一にアメリカはどの国よりもイスラエルを 祝福し守ってきました。また第二にアメリカは現在宣教師を最も多く送り出し、多くの国 に最も多い額の宣教費を捻出しています。今日では宣教に使われるお金の 4 分の 3 がアメ リカから出てきたものです。もしこのような現実がなければアメリカの妊娠中絶率だけを 考えてみても、神の裁きはもっと早い時期に下っていたことでしょう。

一方でスミルナの時代には『パックス・ロマーナ』が優勢でした。ローマ人は他の勢力 を抑えながら、さまざまな学派から自分たちの哲学を作り出していました。フェニキヤ人 からは交易路を取り、あらゆる場所に道路設備を建設し、そのうちのあるものは現在も残 っています。イスラエルでは『ヴィア・マリス』と呼ばれる『海の道』の跡が見受けられ ます。ローマ南部の地下墓地の近くには『ヴィア・アッピア』と呼ばれる『アッピア街道

』が残存しています。ローマ人たちは社会正義のための裁判のシステムを作りました。ま た彼らは自分たちの言葉であるラテンを国際公用語(リンガ・フランカ)とはせずに、ギ リシア語をもってきました。そしてその決定によって福音が広がったのです。バビロン捕 囚の後には非常に大規模なユダヤ人のディアスポラ(離散)が起こりました。それゆえ、 ローマ帝国中の主要な町々には確立されたユダヤ人共同体がありました。それだけではな く、ヘブライ語聖書(タナク)のギリシア語翻訳である七十人訳が登場し、当時の国際公 用語で利用可能となったのです。それゆえパックス・ロマーナの時代に福音は異邦人の間 で広がる条件が揃えられたのであって、神は実際にそれを用いていました。その反面、パ ックス・ロマーナは自分たちに頼り、従順である者たちだけに平和と繁栄を与えました

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